世界で一番カッコいいカメラの話をしよう。
皆さん、こんにちは。
今日もだらだらしてますか?
どうも、だらり庵 庵主のクロギタロウです。
ごく個人的な話で申し訳ないんですが
小さな頃から物語の主人公が大好き!となったことがありません。
青春時代を彩った漫画でいうと、『ドラゴンボール』なら人造人間16号、『BLEACH』なら斑目一角、『鋼の錬金術師』ならヒューズ准将、『ハチミツとクローバー』なら野宮匠、『よつばと!』ならジャンボがそれぞれお気に入りです。何かはっきりとした共通項があるかと言われると、そんなことはないと思うのですが、みんな主人公ではないことは確かなわけで。
華々しい場面、悲しい場面に関わらず、多くのスポットライトを割り当てられているのが主人公なのは当然で。
主人公を追って目まぐるしく舞台を駆け回るスポットライトが気まぐれに浮かび上がらせた主人公以外の登場人物たちの表情に、僕はいつも魅せられてきました。
この感覚は、どうやら自分の身の回りのものを選ぶ時にも同じようで、不特定多数の人が良いと思っているものには食指が伸びません。
相棒に選んだカメラもその例に漏れず、メインストリームとはかけ離れた荒野を独り征くPENTAXのフルサイズ機K-1でした。
初めて手にしたその日から微ブレすることすらなく、僕はK-1が世界で一番カッコいいと思っています。これは掛け値無しで言い切れます。武骨を具現化したようなそのフォルム、他の追随を許さない頑健なボディ、潔さすら感じるあらゆる要素を削ぎ落としたネーミング、圧倒的な高画素。K-1を構成する全ての要素が僕を魅了してやまないのです。
もしも働かなくてすむのなら、日当たりのいい窓際にK-1を置いて、日がな一日眺め暮らしたいほどにカッコいい。
僕の前世はPENTAXのレンズか何かだったんじゃないかと思うほどに、K-1のことが好きです。
とね、ここまで言っておきながらアレなんですが、お知らせしなければならないことがあります。
私クロギタロウは、愛機K-1を手放すことにしました。
自分でも、何でこんなことになってしまったのか、いまだに気持ちの整理ができていません。
今回は、K-1をどうして手放すことになってしまったのかについて書くことで、何とか一区切りつけたいと思っています。
- 【K-1を手放した理由 その1】樹海の奥深くからやってきた驚異の新人
- 【K-1を手放した理由 その2】圧倒的レンズ不足
- 【K-1を手放した理由 その3】K-1はホントレートで使えない
- 【ありがとうK-1】
【K-1を手放した理由 その1】樹海の奥深くからやってきた驚異の新人
これが実に大きい。
某たけさんぽというフォトウォーク界隈でのユーザーが異常に多い、FUJIFILM。
こやつさえいなければ僕とK-1の幸せウフフカメラライフは永遠だった…。
長年のフィルム製造のノウハウを活かした多種多様なフィルムシミュレーションから繰り出される素晴らしい色味は正直PENTAXの何倍も好みです。
自分で撮った写真を見ながら「あぁん……」と声がこぼれるほどにフジの色味が僕の好みにドンピシャだったのですね。
【K-1を手放した理由 その2】圧倒的レンズ不足
僕はビルゲイツ並みのお金持ちではないので、いくら世界一カッコいいカメラだとしても、置物のようにして愛でる用のK-1は持ち合わせていません。
写真をたくさん撮りたい!
でも、PENTAXのラインナップには僕の好きなレンズが無いんです。
具体的に言うと中望遠135mmでフルサイズ仕様の単焦点レンズが、PENTAXには無いんです(オートフォーカス対応に限る)
一方のFUJIFILMにはXF90mm(フルサイズ換算137mm)という神レンズがあるんです。
これが一本あれば僕は生きていける、それぐらい好きなレンズが。
結局カッコいいボディだけあってもね、意味ないんですわ……。
もちろんFA 77mm F1.8 Lmitedのような素晴らしいレンズがPENTAXにはあります。
ですが、わがままな僕は135mmの写真が撮りたいんですよね……。
【K-1を手放した理由 その3】K-1はホントレートで使えない
なんやかんや言ってきましたが、全てはここに帰結します。
2019年から始めた僕のずっとやりたかったホントレート 。
本を読んでいる人の様子を撮影させてもらうというホントレート の性質上、どうしてもK-1の大きなシャッター音や、77mmを使っている時のピント合わせのウィンウィンは、どうしても読書の邪魔になってしまうのです。
取材をさせてくれる人の妨げにならないように撮影を手早く行うのに、FUJIFILMのX-H1ほどの適役はいません。
お金に余裕さえあれば、X-H1を複数台所有したいとさえ思うほどに、ホントレートとこのカメラの相性が抜群なのです。
「大好きという気持ち」と、「自分のやりたいこと」を天秤にかけた時に、答えが出ました。
ホントレート は単に趣味としてやりたいことと言うだけでなく、他の誰もやらない、僕がやらなければいけないことなのです。
紙の本が好き、街の本屋さんが好き、本を読んでいる人の姿が好き。
その魅力をたくさんの人に知ってもらうために、僕は今写真を撮っています。
そこにK-1が入り込む余地を、僕には見いだすことが出来ませんでした。
こちらの最高な記事のように、思い直すことが出来ないかと長野県まで一緒に行ってみたんですが、気持ちは変わりませんでした。
ホント、一緒に撮りに行った友人たちが笑ってしまうくらいギュイギュイ鳴るんですよね。
僕がホントレートをやっていなかったなら、それも個性だと思って笑いながら付き合って行けたのでしょう。
でも現実ではホントレートをやっている。
K-1と一緒に生きていくためにホントレート をやめるかと訊かれたら、即答でNOと言います。
僕は書漂家、人生に寄り添う1冊を楽しむ人の姿を写真に収める男。
許してくれ、K-1。
いつかPENTAXからフルサイズ対応135mm単焦点のレンズが出たら、その時は迎えに行く。
待っててくれとは言わない、言えないけれど、どうか元気で。
僕は僕にしか行けない道を行く。
市場のシェアなんかおかまいなしなお前みたいに、決して主人公にはなれないけれど、僕はX-H1たちと荒野を進むことにしたよ。
新しい時代の幕開けの前に表明する、これが僕の覚悟です。
Xマウント統一、これが僕の答え。
【ありがとうK-1】
悲しい記事にしたくなかったから、K-1の作例をバシバシ載せて、読んだ人誰もがK-1欲しいなって羨むような内容にしようと思っていました。
だけど、K-1で撮った写真を選んでいたら、ディスプレイが歪んできたのでやめました。
最後に、殺伐としたこのブログに、最高にクールなK-1を登場させて、締めくくりといたしましょう。
ありがとう、K-1。
誰が何と言おうが、世界中のカメラ好きを敵に回そうが、僕は言う。
お前は世界で一番カッコいいカメラだ。